
そして歌を書きながら 学べや、学べ。
2019.09.30
2019年春から、共同通信社より各地方新聞社へ配信される水野良樹の連載コラム「そして歌を書きながら」(月1回)。こちらではそのコラムに加筆修正を加えたHIROBA編集版を、お届けします。
学べや、学べ。
2歳になる息子が英語教室に通い始めた。
教室といっても幼児向けだから大層なものではなく、ゲームや遊びを通して英語に触れる程度だが、それなりに楽しくやっているらしい。
家に帰ると、何枚もある大きな動物のカードをうれしそうにこちらに見せてきて「えいごはー?」とあどけない声で聞いてくる。
この動物は英語で何と呼ぶのか当ててみろというクイズだ。
教室で同じようなゲームをやっているのだろう。
息子が象を指差す。
おお、父ちゃん、それはわかるぞ。エレファント!
キリンを指差す。
なるほど!少し難しいが、まかせておけ!ジラフだ!
得意げになったところで、息子が指を指した次の問題に目が点になった。
鹿。
し、し、しか?
え、鹿って英語でなんだっけ?
え。え。え。
いや息子よ、ちょっと待ってくれ。
お前わかるのか。
あふたふたしていると息子が大きな声で「ノー!」と首を振る。
不正解のときの仕草らしい。
英語が不得意だ。
いや不得意というかほとんど喋ることができない。
一応、文系の4年生大学を卒業して、義務教育の頃から数えればそれなりの期間をかけて英語を学んできたはずだ。
「詰め込み教育じゃ実際の会話には役立たなくて意味がありませんよ」なんていう言説は、耳にタコができるほど聞かされてきた。
だが、そんなご高説に従順でいられるほど、素直ではない。
勉学における暗記の重要性をなめるんじゃないよと、受験生の時分は単語帳をボロボロになるまで使い込んで、必死で数千個の英単語を頭に詰め込んだものだ。
しかしどうだろう、すぐに紙面に書き出せるほどしっかり頭に叩き込んだはずの英単語たちも、本人の意志に反して、今ではすっかり記憶の果てへと飛び立ち、旅立ってしまったらしい。
父の失敗を繰りかえしてはならない。
積年の水野家の雪辱を果たすために、年端もいかない幼い息子は、せっせと今から英語教室に通う。
ふがいない父は、その小さな背中に精いっぱいに手を振るのみだが、冒頭にも書いた通り、幸い、とうの息子はとにかく楽しいようだ。
英語の童謡も習うようで簡単なダンスも踊りながら、家でも飽きることなく大きな声を出して夢中で「Baby Shark(英語の有名な童謡だ。すごいテンションで歌う)」を歌い続けている。
なにかを学びとるうえで、やはり楽しさに勝る原動力は無いのだなと、改めて思わされるばかりだ。
思い返せば子供の頃、自分は母親に「勉強をしろ」と強制されたような記憶がほとんどない。
母は理知的なひとで、息子の自分が悪さをしても頭ごなしに叱ることはせず何が悪いのか丁寧に説明し、すべてを自分で考えさせようとした。
進路についても、習い事についても、親としての意見は伝えても、原則は子供のやりたいという意志にそって助力してくれた。
おかげで自分は現在の仕事においても、自分で考え、自分で意思決定することにとてもこだわる人間になった。
それについては母にとても感謝している。
しかし、そんな母が自身が打ち立てた自立型の教育方針に反して「これは学んでおけ」と強く言ったことが2つある。
水泳と英語だ。
水泳は水難の危機がいつ訪れるかわからないから、泳げないより泳げたほうがいいだろうという極めて真っ当な理由。
命を守るためのことだから、これはわかりやすい。
英語は、これからは国際化社会だから語学は必須だろうという母の読み。
いまのグローバル社会のめまぐるしい発展を母が予見していたとは思えないが、80年代初頭にして「いや、とりあえず、これから英語は必須でしょ!」と思った彼女は正しい。
しかし、悲しいかな、けなげな母の願いは叶わなかった。
息子は今も泳げない。
英語については、もはや2歳の孫に負けている。
人に言われてやることはやはり身につかないようだ。
母よ、すまない。
経験を踏まえて思う。
息子が学びを楽しむ背中を、あの日の母と同じように僕も笑って、送り出してやりたい。
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