松井五郎さんにきく、歌のこと 10通目の手紙「最後の質問」水野良樹→松井五郎
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松井五郎さんにきく、歌のこと 10通目の手紙「最後の質問」水野良樹→松井五郎

松井五郎様

この手紙のやりとりも10通目になりました。

往復書簡として続けたこのやりとりは、新型コロナウイルスの感染拡大という未曾有の嵐のなかで交わされたもので、やがて振り返ったときに、この特殊な日々の空気を匂わせるものになっているのだと思います。まるでタイムカプセルのようで実は今から楽しみです。

歌と同じように、こうやって人と人とが交わし合った会話もまた、長い時のなかで雪が降り積もるように、その上に意味が重なっていくのだと思います。5年後に読み返したら、あるいは10年後に読み返したら、また違う景色がこのやりとりの地平に広がっているのではないでしょうか。

さて先日頂いたお手紙は、普段はなかなか読めない松井五郎的”歌詞評論“とでも言いましょうか、歌詞を捉えるときの松井さんの五感を教えられるもので、とても学びになりました。膨大な経験と知識に裏打ちされたテクニカルな論理が組み合わされた解説である一方で、どこか書き手しか持っていない肌感覚というか体感のようなものが、評論のなかにでさえ立ち上がっていて、それが対象の作品に対して松井さんが感じていた刺激を読み手のもとにも極めて生々しく甦らせてくれるお手紙でした。

たとえが難しいのですが、野球選手のスイングを写真や映像をもとに解説するのではなく、打席に立って、ピッチャーが投げ込んでくるボールを正面から見て、後ろに控えているキャッチャーの息遣いまで感じながら、解説しているような。

だからこそシンガーソングライターと作詞家との違い。歌声をもつ人間とそうでない人間との違い。そういった松井さんが打席に立ったときに、作詞家という役割だからこそ必ず重力としてその体に加わる“枷”のようなものが、どんなに論理的にお話しされても、常にテーマとして通底しているように感じました。批評家の言葉と書き手の言葉とがそれぞれ異なっているのは、やはり、そこに自分が書く上で背負っている“枷”があるかないかだとも思います。

桑田佳祐さんが手がけられた坂本冬美さんの『ブッダのように私は死んだ』について、松井さんの論考を拝読して、桑田さんを起点に、あらためて思い出したのはサザンオールスターズの皆さんが2008年にリリースした『I AM YOUR SINGER』でした。

当時、サザンオールスターズはデビュー30周年の節目の年で、活動休止を発表しながらリリースした楽曲がこちらの曲でした。テレビ朝日の音楽番組『ミュージックステーション』ではまるまる1時間サザンオールスターズだけという特別回も放送され、大変話題になっていました。

僕はその頃、デビュー3年目になったかという頃。サザンオールスターズの10分の1にも満たないキャリアでそれこそ雲の上のひとたちを眺める気持ちでしたが(今も、そんなにそれは変わりませんが笑)、この楽曲をとても印象深く覚えています。

というのも、この楽曲の言葉に言い知れぬ畏れを感じたからです。
まさに“国民的”という言葉が他のどのアーティストよりも似合うサザンオールスターズにあって、そして桑田佳祐にあって、30年続けてきて最後(当時はそう思わせる雰囲気がありました)に歌う言葉が「I AM YOUR SINGER」なのだと。

そしてその歌声は当時隆盛し始めていたオートチューンでの積極的加工を加えたものでした。ある種、生身の人間ではないような質感が、その歌声には与えられていたのです。

かつての植木等や坂本九のように、国民的な娯楽の象徴とも言える存在になったサザンが、そして桑田さんが、“僕は君たちのものだった”という趣旨の言葉を歌うことは大衆音楽の国民的スターとして、とても理解しやすい文脈だし、ファンとしては感動さえ覚える言葉です。みんなのサザンでいてくれた、みんなの桑田さんでいてくれたのだと。
本当にありがとう!と誰もが拍手を贈りたくなるような。

でも、そのハートウォーミングなやりとりのなかで歌われた言葉には、桑田さんの生声とはどこか違った機械的な質感を加えられていました。桑田佳祐というひとの強烈すぎる刃が隠されているようにも思えてきて、まだ二十代半ばだった僕はなんだか震えるような気持ちになってしまいました。人気者であることを背負ってきたひとの“業”のようなものを、ちょっとだけ垣間見たような気がしました。それはもしかしたら若輩の深読みなのかもしれないけれど。

“大衆”という言葉の定義なんて簡単にできるわけもないのですが、多くの人々を相手にする大衆音楽の担い手がシンボライズされて、生身の人間であるはずなのに抽象化されていくという現象は時代を問わず、常に在ることです。その抽象化に耐えられるか、応えられるかが、スターと呼ばれるひとたちと、そうでないひとたちとの分水嶺なのかもしれません。

そのうえでさらに飛躍すれば歌のなかの言葉も、感情の抽象化みたいな現象に耐えられないといけません。個人の体験談や具体的な出来事を、ありのままに書くのはむしろ簡単とも考えられるところがあって、歌はやはり、全く違う人生を生きてきたひとが接しても、そこで描かれている感情を思い起こせるような、抽象度がないといけません。

その意味で『ブッダのように私は死んだ』も、不特定多数のひとの心のなかにある抽象的な“心象風景のステレオタイプ”を巧妙に突いてくるものなのだと思います。卑近な言葉でいえば「あるある」ですが、“火曜サスペンスがモチーフ”といった逸話も、それを端的に言い表していて、大衆に愛される歌は、言語化はされていないけれど必ずみんなの心のなかにあるベタな感情風景みたいなものを、ちゃんと膨らませてくれる仕掛けが組み込まれているのではないでしょうか。「仮名手本忠臣蔵」のように思える、といった自分の言葉もそんな考えがありました。シェークスピアにしろ、歌舞伎や講談、落語にしろ、あるいは童話や神話にしろ、スタンダード化した物語は(卵が先か、鶏が先か的な前後関係はわからないにせよ)、大衆の心象風景のステレオタイプをいくつも具現化してきたのではないでしょうか。

折坂悠太『平成』

言葉が醸し出すイメージ。大衆の中で共有されている、心象風景。
そういった意味で折坂悠太さんが歌う“平成”という言葉は、すでに単なる時代名を超えて、それぞれの人々が過ごしてきた個別の時間と、それぞれの人々が感じてきた「こんな時代だったな」という肌感覚が、そのなかで混ぜあって、えもいえぬ深みをもっているように思います。共有されているイメージだけだと、それはそれで絵空事になってしまう(まさにステレオタイプ)けれど、そこに個人の記憶が加わる余地があると、一気にリアリティが増します。なぜこの「平成」という折坂さんの声で歌う冒頭の切なげなワンフレーズの響きは、その同居を実現できているのか僕にはまだわからなくて、本当にすごいなと思います。こんな大衆歌の在り方(折坂さんは大衆歌とは思っていらっしゃらないかもしれませんが)もあるのだなと、とても心動かされました。

柴田聡子『後悔』

ああ、バッティングセンターで
スウィング見て以来 
実は抱きしめたくなってた

これは僕には書けないです。絶対に書けないけど、ここで描かれている“なにか”を、聴き手として僕なりの解像度で、ありありと心のなかで立ち上げることはできます。そのうえでキュンとしたり、ちょっと恋をしたような気持ちになったり。いわゆる歌にぐっとくるみたいなことが起こるわけです。

この曲を書かれた柴田聡子さんがどのようなイメージで書かれたのかはわからないけれど、“それ”を伝えるというより、聴き手の心のなかに“それ”を立ち上げることにこの歌は成功していて。性別も、背景も、歩んできた人生も環境も違う、赤の他人の僕が聴いても“それ”は僕の心のなかに立ち上がっているわけです。こんな描き方は僕にはできないけれど、ちがうやり方で同じようなことができないかと、すごく嫉妬するような歌詞(そして歌声)でした。素晴らしい。


歌詞を書いていると、どれだけ「伝える」ことができるか、みたいな文脈ばかりに陥ってしまいがちだけれど、歌も、歌詞も、歌い手の存在も、やはり“開いて”いないといけないんじゃないかとよく思います。

この“開いて”という言葉でどういうことを言おうとしているのか、自分はまだうまく説明できないのですが、それは桑田さんの歌を通して話したような、歌が内包している抽象度や、聴き手が自分の心のなかで“何か”を立ち上げられる余地みたいなものを担保することなのかなと。

「悲しみにさよなら」と歌われたときに、あるいは「愛なんだ」と歌われたときに、それは意味を超えていて、もっと開かれていて、意味以上のものを、聴き手は心のなかで立ち上げることができるから感動するのかなと。

また話が長くなってしまいました。
さて10通目。そろそろ、このやりとりも、ひとつの区切りへと向かっていきたいと思います。最後に伺います。

松井さんにとって、作詞をしていて、もっとも喜びを感じる瞬間は、いつ、どんなときでしょうか。作詞をしていて、歌をつくっていて、幸せですか。

水野良樹


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