
【後編】音楽文化と社会の結びつき
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「TOKYO NIGHT PARK」柴那典さん対談 HIROBA編集版
水野 話題が変わりますが、柴さんはなぜ音楽ジャーナリストの道に進んだんですか?こういうことを聞く機会はなかったのですが。
柴 あくまで僕の定義ですが、音楽ライターの仕事と音楽ジャーナリストの仕事を分けて考えているところがあります。
水野 なるほど。
柴 音楽ライターになったのは間違いなく雑誌「ロッキング・オン」に就職したのがきっかけです。アーティストが新作に込めた思いなどを取材したりライブをレポートする。つまりアーティストの表現ありきで、それを題材にいろいろなことを語っていくのが音楽ライター。
水野 はい。
柴 僕が音楽ジャーナリストと言い始めたのは2010年くらいからです。音楽業界、音楽カルチャー、音楽シーンのようなものが社会の中でどのように扱われているか、社会にどんな影響を与えているのかを取材して発信していく。まさに「ヒットの崩壊」を書くうえでの最初のポイントでもあります。そこに関して問題意識を持ち始めたのが最初ですね。
水野 問題意識を持ち始めたきっかけは何だったんですか?
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ソングライター水野良樹が主宰するHIROBAの公式noteです。
『考えること、つながること、つくること』
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