
松井五郎さんにきく、歌のこと 1通目の手紙「書かないこと」 松井五郎→水野良樹
2020.03.24
作詞家の松井五郎さんに、水野良樹がきく「歌のこと」。
音楽をはじめた中学生の頃から松井五郎さんの作品に触れ、強い影響を受けてきた。
もちろん、今でも憧れの存在。
そんな松井五郎さんに、歌について毎回さまざまな問いを投げかけます。
往復書簡のかたちで、歌について考えていく、言葉のやりとり。
歌、そして言葉を愛するみなさんにお届けする新連載です。
1通目の手紙「書かないこと」
松井五郎→水野良樹
水野良樹様
お手紙を頂き、ありがとうございます。
いつもなら桜の知らせも聞こえてくる頃、今年は誰もが息を潜めて道を歩いています。お変わりはありませんか?音楽の現場も疲弊してますね。なにより歌う場を奪われている事は、音楽家のひとりとして、残念でなりません。ただ、それでも、それぞれが集う事ができる日のために力を蓄えていると信じたいですね。
さて、書かない事はなにかを考える時、書きたい事はなにかを考えるという前提があります。当たり前ですが、白紙を前にして書かない言葉を考えているわけではありません。行間や余白はあくまで記された言葉があって意味を持ちます。ですから、書かない言葉は、書く言葉が孕んでいたり、そこから連想される意味やイメージと繋がりがある事になります。
聴く者、読む者の想像の補完能力も大事な要素かもしれません。その言葉から殆どの人が近いイメージを持つならば、説明的にならないように心がけます。ただ、書く前にバイアスをかけてしまうと筆先の速度が鈍るので、書ける事はなんでも書いてやれと、そんな初動の意識は大切かもしれませんが。
とは言え、そう意気込んで書き始めようとすると、実は自分がそれほど言葉を知らないと気づきます。グラスひとつを言葉で描写することも難しい。正確さと言えば写真に到底敵いません。そうなると、そこには既に、書ける事、書けない事、或いは書くべき事、書かなくていい事が、在るのではないか。
そこから、捕らえようとしている中心に必要な言葉を精査していく作業をしていけばいい事になります。ないものを集めるのではなく、在るものを整理していく。
曲が先にある場合は、跳ねたり伸びたり低い高いといった物理的な音の性格を分析しながら、聞きやすい歌いやすい音から言葉を導き出したりもします。創造というよりメロディに潜んでいる言葉を探す。そんな感じですね。
ですから、水野君が仰る「メロディという土地の制約」はむしろ「メロディという領域への動線」と僕は解釈してるのかもしれません。一小節に音符がひとつしかないようなメロディの時は、「あゝ」「ねぇ」「もう」…といったような、歌手の表現力に託した言葉を選択します。それは、別の見方をすると、メロディを壊してしまうと思った時はそこに無理に言葉を詰め込まないという事でしょうか。ただ、面白いもので、あゝという言葉ひとつにも、歌手やメロディの数だけ意味はあるわけで、ここにも書かない事があるのかもしれません。
少し別の角度で具体的な話を。
書かない言葉を考える事と近いと思うのですが、過剰な表現や意味の重複がないかを精査する事があります。
例えば、「白く冷たい雪が降る」といった表現があるとします。この場合「雪」という言葉が既に孕んでいる言葉を書く必要はないように思います。勿論「雪」を強調する意味合いとも取れますが、少しくどいなと。せっかくの文字数或いは音数を有効に使った方がいいように思うのです。「白く冷たい雪が降る」は視覚的である「白い」「雪」「降る」と、触覚的な「冷たい」で表現が構成されていますが、同じ言葉数で、ここに聴覚的な表現や時間軸を更に加えると「ふいに儚い雪の音」といったような表現もできるのではないでしょうか。「白い」も「冷たい」も「降る」も既に「雪」というイメージに含まれているので、あえてそういった言葉は使わない。同じ文字数で情報量を増やす方法かと思います。
もうひとつ。
情報量の流れを作りながら、展開の中で書く事と書かない事を整理する。
人もまばらな裏通り
ひとつ差す傘 影ふたつ
今夜最後のつもりでしょう
それで涙も終わるなら
これは水野君に曲をつけて頂いた「雨の別れ道」の冒頭ですが、「人もまばらな裏通り」という広角で俯瞰の情景描写から、「ひとつ差す傘 影ふたつ」少し視線を寄っていきながら、二人の関係性を「ひとつの傘を差す」で現し、ここから一気に描写の流れを変えて心情に展開しました。この四行の中で、情景、状況、心情のバランスを考えています。まず最初の一行を書いた時、音の規則性を三音四音五音、つまり、ひとも/まばらな/うらどおりと決めました。この四行はそれぞれがこの形になっています。最初に決める事で、それを動線にしました。最初の二行で情景と状況。次の二行で心情にシフトしていく。その流れに沿っていくとすれば、書く事と書かない事のコントラストもなんとなく見えてきます。
そうそう、説明的な言葉を難解になるのを覚悟で省略する事もあります。
安全地帯の「風」という歌にこんな一節があります。
ふりかえると なにもない空なのに
僕だけが難しくて
本来であれば「僕だけが」と「難しくて」の間には「余計な事ばかり考えて…」といった「難しい」を補足する言葉があった方がわかりやすいはずです。しかし、その言葉がなくても、玉置浩二の声であれば、敢えて説明しなくても意味は伝わると思いました。
アーティストのポテンシャルやメロディ、アレンジ、更に時代性やパブリックイメージなどで、書く書かないは常に力点が変わります。あるアーティストには書く言葉が別のアーティストには書かない言葉にもなる。
長くなりました。
いつか詩集や歌詞集を作る時、題名にしたいと考えているもののひとつにこんなのがあります。
「言葉はいらない」
僕らの仕事は「既に在るもの」と対峙しているのではないかと思います。であれば、書かない事が表す事でもあると思うのです。書くことだけで現せたという錯覚を僕は怖れます。つまりは歌の詞である事。その事が筆先を自由にしてくれる。そんな気がします。
松井五郎
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